ままぱんの育児ブログ(仮)

ままぱんと息子べび男の日々を綴ります

ああ神様

子育ては、思い通りにはいかない。

分かっていたつもりだったが、実際にやってみると痛いほどそう感じる。

特に初めての子どもなので、ほぼすべてのことが

思った通りのとんとん拍子にいかないのである。

 

そんなとき、あなたなら誰を頼るだろうか。

私が頼ったのはもちろん、神様である。

 

別に宗教上のちゃんとした(?)神様ではない。

ただなんとなく、「神様」だ。

 

我が家のベビ男はちょっと小さく生まれ、黄疸もあったために

退院後も何度か通院し、体重測定をしたり光線治療をしたりした。

出産は鼻からスイカと聞いていたので

ちっちゃく生まれてラッキーじゃん!くらいに思っていた私は、

病院から

「黄疸が出ているので、赤ちゃんだけ1日入院しましょう。」

なんて言われては

「ああ神様、黄疸が引きますように!!!」と祈り、

看護婦さんから

「あら、体重が増えてないわね。」

なんて言われれば

「ああ神様、体重が増えますように!!!」と祈っていた。

 

 

思い返せば、私は小さいころから何かと神様に祈ってきた。

 

「自転車の鍵が見つかりますように。」

「社会のプリント、学校にありますように。」

「持久走大会が雨でつぶれますように。」

 

どれもこれもしょうもない願いばかりである。

こんなのを私みたいなガキンチョが全国から祈っていたかと思うと

神様というのはなんとブラックな仕事かしら…

「俺は新世界の神になる」とかいう人、やめた方がいいわよ…

と、おせっかいながらアドバイスしたくなってくる。

でも狭い世界で生きていた幼い私はこれを本気で心から祈り、

あるときは手紙を書いて窓に貼り(失くしもの系だったため、ベランダで洗濯物を干していた母にすぐ見つかって怒られた)、

あるときは枕の下に敷いて寝(夢にも見ませんでした)、

あるときはトイレに流し(マネしないでください)、

どうか神様に届くようにとそれさえも祈りながら

自分ではどうにもできない願い事をしまくっていたのだ。

 

幼いころの願いは叶ったり叶わなかったりまちまちだったが、

お陰様でべビ男に関する神への願いはすべて聞き届けられ、

黄疸は引き退院でき、今では体重も増えまくりうんこも出まくっている。

神様は相当大変だっただろうが、全部叶えてくれたので感謝しかない。

 

と言いたいところだが、

人間、過ぎ去ってしまうと感謝の気持ちは薄れてしまうものである。

「そんな心配しなくてもよかったわ。

 普通に過ごしてたら自然と解決したな。

 まあでも神様のおかげかもしれないから、感謝感謝~。」

くらいなものだ。

私が神様だったらこんなやつの願いは二度と聞き入れないどころか

怒り狂って天罰を与えるかもしれないが、

神様は神様なので、そんな大人げないことはしないだろう。

さすが神様である。

 

きっとこれからも上手くいかないことがたくさんあり、

そのたびに私は必死に神に祈るだろう。

愛想を尽かされないように、叶えてもらったことはちゃんと感謝せねばならない。

 

などと考えて感謝している時点でかなり現金なやつであることがばれてしまっているので、もうだめかもしれない。

ああ神様、神様に愛想を尽かされませんように。

でちゅよあぶあぶ

ブログに書いておこうと思ってあたためている事柄はいくつかあるのだが、

その中でも自分にとって衝撃だったことから書くことにする。

 

学生時代、国語科で学んでいた私は

「将来、子どもができたらその子には

大人と同じような言葉づかいで話すの。

ブーブーとかなんとかでちゅよとか言ってたら、

あとで車とかですますとか覚えなおすんだから

逆にたくさん言葉を覚えなきゃいけないじゃん。

いつまでもブーブーしか言えなかったらどうすんの。笑」

と思っていた。

 

この考え方は妊娠中もそうで、

「おなかの赤ちゃんに積極的に話しかけましょう」

という某クラブの教えのもと、

「今からお母さんはお仕事に行くよ。頑張ろうね。」

「〇〇の出張だよ。直帰だからうれしいな~。」

「健診に行こうね。何グラムになってるかなあ。」

と、わりと普通に話しかけることを心掛けていた。

仕事柄、子どもと接する機会も多いのだが

基本的に話をするときは彼らとも対等に話すようにしていたし、

それは自分の子どもにも同じようにして当たり前だと思っていた。

 

 

ところが、である。

 

 

「べびたん、起きたでちゅか~!えら~~~い!」

「かなちい気持ちになっちゃったのね~ありゃりゃ~よちよち」

「ぶーなの~!ぶー言えるの~!上手上手、ぶーね、あぶ、あぶ」

 

文字に起こすとかなり気持ちが悪いのだが、

聞いても本当に気持ちが悪いのです。このしゃべり方。

でもこうなってしまう。

3番目なんかもはやあぶあぶ、意味すらもたない。

 

もちろん、上記のように話している今でも

べび男がおっさんになってから

「今日は残業かあ~かなちい~あぶあぶ」

と言っていてもいいと思っているわけでは全くない。

ましてや国語をちょっぴり他より勉強してきた私としては

使う言葉はアイデンティティになりうると思っているので

できればその人の品格相応の言葉を話せる人になってほしいのだ。

 

そこまで考えているのに。

ブーブーだけならまだしも、私はsの発音を捨てたのである。

べび男と話すとき、私の辞書からサ行は消滅し、

謎のあぶあぶが飛び出して来るのだ。

まぶしいと目をつむるように

梅干を見ると唾液が出るように

こたつに入ると眠くなるように

べび男に話しかけると「でちゅよあぶあぶ」になってしまう。

 

ふと我に返りこのことに気づいたときは

あまりの衝撃に

「お、か、あ、さ、ん、で、す、よ」

とべび男に言って確認したくらいである。

本当にサ行がなくなっていたらどうしよう、と。

冷静なときは大丈夫だ。よかった。これが私だ。

どうやら、愛が深いときにsは消え、あぶあぶしてしまうようなのだ。

 

つまり、「でちゅよあぶあぶ」は愛の証。

誇るべきものなのである。

学生時代の頭でっかちの私は何もわかっていない。

愛などわからないで表面だけを見て「。笑」などと言っている

ただのすっとこどっこいだったのだ。

あの頃の私に

「これは、かーかんの愛情のちるちなんでちゅよ~」

とでも言ってやりたい。

 

 

大きくなれば(といってもあと数年だろうが)彼もコミュニティをもち、

母親からの愛を人前で素直に受け取れない年齢になるだろう。

そのときまでの期間限定ということで、

「でちゅよあぶあぶ」を許してほしいと思う母である。

ままぱん育児ブログ始めました

子どもを産んだから、育児ブログを書こう。

そう思って早4か月…。

ようやく開設しました。

 

「ままぱん」になった私と、

私をままぱんにした最愛の息子「べび男」の

初めてだらけの生活を綴っていこうと思っています。

 

何事も「初心忘るるべからず」というので、

ここで初心を決めたいと思います。

初心1 適度に更新しよう

1と番号をふったものの、これ以外思いつかないので

とりあえずこれを初心にします。

また思いついたら次心ということで追加します。

 

今回はべび男が起きそうなのでこれでおしまい。