でちゅよあぶあぶ
ブログに書いておこうと思ってあたためている事柄はいくつかあるのだが、
その中でも自分にとって衝撃だったことから書くことにする。
学生時代、国語科で学んでいた私は
「将来、子どもができたらその子には
大人と同じような言葉づかいで話すの。
ブーブーとかなんとかでちゅよとか言ってたら、
あとで車とかですますとか覚えなおすんだから
逆にたくさん言葉を覚えなきゃいけないじゃん。
いつまでもブーブーしか言えなかったらどうすんの。笑」
と思っていた。
この考え方は妊娠中もそうで、
「おなかの赤ちゃんに積極的に話しかけましょう」
という某クラブの教えのもと、
「今からお母さんはお仕事に行くよ。頑張ろうね。」
「〇〇の出張だよ。直帰だからうれしいな~。」
「健診に行こうね。何グラムになってるかなあ。」
と、わりと普通に話しかけることを心掛けていた。
仕事柄、子どもと接する機会も多いのだが
基本的に話をするときは彼らとも対等に話すようにしていたし、
それは自分の子どもにも同じようにして当たり前だと思っていた。
ところが、である。
「べびたん、起きたでちゅか~!えら~~~い!」
「かなちい気持ちになっちゃったのね~ありゃりゃ~よちよち」
「ぶーなの~!ぶー言えるの~!上手上手、ぶーね、あぶ、あぶ」
文字に起こすとかなり気持ちが悪いのだが、
聞いても本当に気持ちが悪いのです。このしゃべり方。
でもこうなってしまう。
3番目なんかもはやあぶあぶ、意味すらもたない。
もちろん、上記のように話している今でも
べび男がおっさんになってから
「今日は残業かあ~かなちい~あぶあぶ」
と言っていてもいいと思っているわけでは全くない。
ましてや国語をちょっぴり他より勉強してきた私としては
使う言葉はアイデンティティになりうると思っているので
できればその人の品格相応の言葉を話せる人になってほしいのだ。
そこまで考えているのに。
ブーブーだけならまだしも、私はsの発音を捨てたのである。
べび男と話すとき、私の辞書からサ行は消滅し、
謎のあぶあぶが飛び出して来るのだ。
まぶしいと目をつむるように
梅干を見ると唾液が出るように
こたつに入ると眠くなるように
べび男に話しかけると「でちゅよあぶあぶ」になってしまう。
ふと我に返りこのことに気づいたときは
あまりの衝撃に
「お、か、あ、さ、ん、で、す、よ」
とべび男に言って確認したくらいである。
本当にサ行がなくなっていたらどうしよう、と。
冷静なときは大丈夫だ。よかった。これが私だ。
どうやら、愛が深いときにsは消え、あぶあぶしてしまうようなのだ。
つまり、「でちゅよあぶあぶ」は愛の証。
誇るべきものなのである。
学生時代の頭でっかちの私は何もわかっていない。
愛などわからないで表面だけを見て「。笑」などと言っている
ただのすっとこどっこいだったのだ。
あの頃の私に
「これは、かーかんの愛情のちるちなんでちゅよ~」
とでも言ってやりたい。
大きくなれば(といってもあと数年だろうが)彼もコミュニティをもち、
母親からの愛を人前で素直に受け取れない年齢になるだろう。
そのときまでの期間限定ということで、
「でちゅよあぶあぶ」を許してほしいと思う母である。