ままぱんの育児ブログ(仮)

ままぱんと息子べび男の日々を綴ります

保育園の面接

べビオも10か月を過ぎ、ついにこの時期がやってきた。

保育園探しだ。

俗に言う「保活」というやつだ。

べビオが生まれる前から、様々な保護者向け雑誌で

「早めの準備がカギ!今からの保活」

「ママたちみんなどうしてる?保活のすべて!」

などという恐ろしいワードは目にしてきたので、私ももちろん保活という言葉は知っていた。

 

ちなみに、世の中のほとんどの事柄において、

「〇〇という言葉は知っていた」

という台詞は

「正直知らないけど、知ってると言って知ったかぶりがばれるのも恥ずかしいし、かといって全然知らないと思われて馬鹿にされるのは嫌だから、とりあえず言葉は知ってると言っておこう」

という思いが詰まっている。

人間とはなんとプライドの高い生き物なのだろう。

 

さて話が逸れたが、上記の保活の件も例にたがわず、私はほぼ何も知らない状態であった。

さらに我々は保活スーパー激戦区に住んでおり、妊娠中から保育園を探しているという人も少なくないらしい。

そんなこととはつゆ知らず、妊娠中はぼーっとジグソーパズルやら懸賞パズルやらをやり、出産後も育児とツイッターに勤しんでいた私は、育休の期限に追われて尻に火がつき、ドタバタと準備をすることとなった。

保活は思ったより大変だったが、そんなことは他の人気ママブロガーさんの記事のほうがよっぽど分かりやすく面白く、ポイントまで丁寧に書いてあるので割愛する。

保活について詳しく知りたい人は、以下を読んでも時間の無駄なのでおすすめしない。

私が保活で考えたのは「子育てで大切にしていることは何か」である。

 

というのも、保育園だからといって「申込書です、入れてください」「はいオッケー」と入所できるわけではない。なんと面接があるのだ。

1歳に満たない赤子とともに面接を受けるだと…?

こんなこと言うのもなんだが、私はわりと面接が得意な方だと思う。

高校も大学もバイトも就職も、すべて面接ありの試験で受かった。ちょっとくらい頭が足りていなくったって面接でカバーできちゃう幸運な能力だと自負している。

だが、ベビオの面接となると話は別だ。

何を聞かれるのだろう。不安になってすぐに調べた。

すると、「おうちではどんなことを大切に教育なさっていますか、と聞かれてかたまってしまいました…。」という、同世代ママのなんとも身につまされる苦労話がヒットしたではないか。

 

何を大切にって、みんなそんなに余裕があるのか。子どもが死なないように育てるので精一杯だったのだけれど、みんなそんなに最初から志高く子育てしているのか!がーん。

 

なんて、一瞬焦ったが、たぶん10人中8人は私と同じだと思う。いや絶対そうだ。そうであれ。

 

しかし、もし本当に面接で聞かれたらそれこそかたまってしまう。まさか「死なないようにしていただけで、そんな上等なことは何も考えていません。ハハハ。」とバカ正直に答えるわけにもいくまい。私が保育園の園長なら、面接の場でそんなにも開き直っている親がいたらドン引きだと思う。一回帰ってよく考えて出直して来てくださいと言ってぴしゃりと戸を閉めて終わりである。

そこで、私もこれからは何かを大切にしてベビオを育てようと考えた。

まだ1歳にもならない。間に合う。人生100年時代と言われる今、まだ100分の1である。よゆうのよっちゃんイカだ。

 

しかし、考えれば考えるほど、面接で答えになるような、ズバッと「これです!」というような言葉が見つからない。思いつくものはたくさんあるのだが、なんだかどれも「これ」と決めるにはいまいちなのだ。

そこで、自分はどう育てられたか思い返した。私の両親の教えで最も心に残っていること。

 

私の父は、

「何においても面倒くさがるな、面倒くさがった瞬間失敗する」「物を探すときは電気をつけろ」「食事の前にケンカをするな」

の3つをよく言っていた。はじめのが自己啓発本の帯みたいなので後ろもそれっぽく見えるが、何のひねりもなくただそのままの意味である。

私の母は、

「歯を大切にしろ」

と言っていた。読んでくれている方はみんな、え、そんなこと?と思っただろう。もしくは、何か深い意味があるのではと勘繰ったかもしれない。しかしこれもそのままの意味である。

というか正直、母からは叱られすぎて全部なんか覚えていられないし、だいたいいつもマシンガンのように言葉を浴びせられていたので心に残る間もない。叱り言葉のシャワーである。私はそのシャワーを滝行のように浴び心を強くしていき、言葉たちは水道管を通って静かに地球へとかえって行った。

歯を大切にしろ、というのは叱られて言われたものではなく、どんなタイミングだったか忘れたが母が噛みしめるように言っていたため、私の心にひとしずく残ったのだと思う。

 

…とまあこんな感じである。これを父母、特に母が読んだら大変だ。大激怒か、無念のあまり滝のような涙か、どちらにせよ私の滝行は決定である。

私の親が何を大切にしていたのかはわからないが、親が大切にしていることが子どもにとっても大切なことになるかは、子どもの考え方によるのだろう。共感できればそれをよいこととして選ぶだろうし、もっと他に大切なことを見つけるかもしれない。

 

「大切にしていること」と言われ、友だちを大切にするとか行儀よくするとか「子どもに大切にしてほしい」ことばかりを考えていたが、そうではなく、「子どもを育てる上で親自身が大切にしている」こと、たとえば子どもの話は最後まで聞く、間違ったら大人もちゃんと謝る、そういったことを保育園の先生は聞きたいのではないかと思う。なんだそうだったのか。それだったらいくらでも答えはあるじゃないか。

 

なんだかいつにも増していいことを言った風になっている。保育園の面接でもし聞かれたら、この記事を紹介することにします。